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ロッテチョコレートの父はスイス人?

ロッテのチョコレートが今日あるのは、あるスイス人チョコレート技師の卓越した技術と、チョコレートへの深い愛情からでした。

チョコレート作りの最高の技術者を探せ!

マックス・ブラック氏1961年頃、チューインガムで成功を収めたロッテは、新たにチョコレート分野への進出を狙っていました。
しかし、チョコレートは「味の芸術品」と言われるほど大変困難な事業です。原料の組み合わせにより千差万別の味が生まれます。

最高の品質を求めるロッテの理念からすれば、未経験で困難な分野とはいえ、味に妥協することはできません。
最高の品質のチョコレートを作るためには、チョコレートの製法に熟知した、優秀な技術者が必要でした。

そこでロッテは、チョコレート作りの伝統を培っているヨーロッパで、1年もの間、最高の技術者を捜し求め、ようやく出会ったのが長年工場技師、工場長としてチョコレート作りに携わっていた、スイス人技師マックス・ブラック氏でした。

最高のチョコレートを作れ!

熱意ある説得により、マックス・ブラック氏はロッテと契約を交わし、来日してチョコレートを作ることとなりました。
着任早々、マックス・ブラック氏は、当時のロッテ社長から次のように言われました。

「工場の設計も、原料の選択も、全て一任する。どんなに原価が高くなっていもいいから、スイス以上の製品を作って欲しい。」

この一言に、ロッテの目標があくまで最高の品質のチョコレートを作ることにあることを、改めて理解したマックス・ブラック氏は、社長の信頼に応え、日本人の味覚に合った、口溶けなめらかな「ガーナミルク」作り上げたのでした。

チョコレートは生きもの

マックス・ブラック氏が作り上げた「ガーナミルク」は、発売と同時に爆発的なヒットとなり、生産が注文に追いつかなくなるほど大成功を収めました。

しかし、それは良い事ばかりではありません。
お店の人は、人気のガーナミルクを多く店頭に並べたいので、ロッテの社員に「早く届けて欲しい」と矢のような催促をします。その気持ちに応えたい担当者は、倉庫に山積みされたチョコレートを予定よりも早く出荷するよう、マックス・ブラック氏に詰め寄りました。

しかし、マックス・ブラック氏は頑なにそれを拒みました。

当時のチョコレートは出来上がって梱包されたあと、温度管理された倉庫で約3週間かけて熟成させなければ、美味しい味に仕上がりませんでした。
「チョコレートは生きものだ。管理が悪ければ死んでしまう!」という、チョコレートの品質にこだわるマックス・ブラック氏の信念が、熟成前のチョコレートを出荷させることを拒ませたのです。
その言葉に、愛情までも感じさせるブラック氏を前にすると、どんな敏腕営業でも引き下がるしかありません。

こうした、マックス・ブラック氏の精神が、ロッテチョコレートには息づき、今日までロッテのチョコレートの最高品質を守り続けています。
こうしたことから、マックス・ブラック氏は「ロッテチョコレートの父」と言われるようになりました。

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